Profile

1999年入社
福岡支店

”ツアーコンダクターは旅の総合演出家”
旅をさらに思い出深いものにしたい

阪急トラベルサポートを選んだ理由

大学4年の夏、思うような就職先が見つからず、気分転換に出掛けたカナダ旅行でツアーコンダクターという職種がある事を知りました。旅行好きな自分にピッタリだと思い、帰国後すぐに派遣会社に登録し、資格をとり、秋の行楽シーズンには国内ツアーコンダクターとして働き始めていました。
最初に登録した派遣会社では冬になると仕事がなく、仕事が春と秋に集中し、収入も安定しませんでした。また、様々な旅行会社のツアーの添乗を行っていましたが、中でも阪急交通社のツアーが一番自分に合っていたので、阪急交通社のツアーを主とする阪急トラベルサポートへ移籍しました。
初めての国内ツアーは、日帰りの高千穂峡、初海外は台湾1周6日間、初ヨーロッパはドイツロマンチック街道・スイス・パリ8日間のツアーでした。今振り返って考えると、緊張や不安よりも知らない土地に行くことができる喜びのほうが勝っていました。まだ20代前半でしたので、怖いもの知らずだったのかもしれません。

常に初心を忘れず

ツアーコンダクターになって6年目くらいだったと思います。お客様が航空会社に預けたスーツケースに傷がつき、その対応でお客様からお𠮟りを受けたことがありました。お客様の申し出に対して「このくらいの傷だと航空会社は免責です」と即答してしまったのです。確かに免責なのですが、あくまでもツアーコンダクターはお客様の側に立ち、結果は同じでも一緒に航空会社に相談し、免責と言われたならお客様が加入されている保険の補償をお調べし、ご案内するなど一つ一つ丁寧に対応すべきでした。そうすればお客様が気分を害することはなかったでしょう。恥ずかしい事ですが、ある程度経験を積み“一人前のツアーコンダクターになった”と自信満々だったのかもしれません。初心に戻る事ができた機会となりました。

これまでに出会えた絶景は私の宝物

今は日本にいても世界のニュースをリアルタイムで知る事ができ、SNSで世界中の人と繋がる事もできます。テレビの旅番組を見れば旅行に行った気分を味わえるかもしれません。でも心が震えるほどの感動は現地に行ってこその体験です。漆黒の大空に絶え間なくうごめく神秘のオーロラやバヌアツの海で見たサンゴ礁に群がるカラフルな魚たち、燃えるような夕日に照らされたエアーズロックなど・・・
もちろん良い事ばかりではありません。1991年から始まった旧ユーゴスラビアの内戦の跡、焼かれた民家やひっくり返ったまま放置された戦車を目にした時の衝撃は今も忘れません。日本のニュースで報道されていた時には聞き流していた内戦ですが、10年以上経って現地でその惨状を目にしてはじめて、どうしてこんな内戦が起こってしまったのか、歴史や宗教問題について深く考えるきっかけになりました。
感動や体験をお客様と共有し、私が知り得る限りの情報と知識を添える事で旅をさらに思い出深いものにできればと願っています。“また次の旅も一緒にね”とお客様に言われる事が一番嬉しく、励みになります。

ツアーが再開する日に備えて・・・
こんな時だからこそできること

添乗歴25年を超え、これまでにもSARSなどの感染症の流行やアメリカの同時多発テロなどで仕事がなくなることはありましたが、これほど長い期間ではありませんでした。しかし、有り難いことに添乗以外の派遣の仕事を紹介していただいたり、仕事が無い月は休業手当を受けていたので心配せずに生活ができました。もちろん、GoToトラベル事業のキャンペーン期間中は国内添乗が忙しかったので、慣れない国内添乗を頑張りました。新型コロナウイルスが収束すればまた必ず忙しくなりますから、こんな時こそ普段は時間がなくて読めなかった少し難しい本を読破してみようと図書館に通ったり、古くなった資料を作り直したりしています。

“ツアーコンダクターは旅の総合演出家。同じツアーでも誰が添乗するかで評価が変わる“

新人研修の時に講師の先生がおっしゃっていた言葉です。行程の管理、お客様の安全確保は当然でプラスアルファー旅をどう演出するかがツアーコンダクターの力量だと言われ、俄然やる気がでました。旅という商品をお客様に提供するのはツアーコンダクターですから、大変やりがいのある仕事です。
ツアーコンダクターの仕事は「究極の接客業」です。語学が堪能であるとか、観光地についての知識がある事は大きな武器にはなりますが、まずは人が好きである事が大切です。もし、この仕事に興味があるのなら難しく考えず、気軽にはじめてみてください。楽しいと思えたならツアーコンダクターに向いています。〔2021年3月掲載〕

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